今日は。

今は、ふと書きます。挑発が多いです。確かにその喧嘩で、アりますが、かなりの逆縁です。それよりも、今まで、見ていないと思っていての、いやがらせを影でしていたということです。そして、うまくいくまでのことをして、しかし、それを己で認識するまでのことです。そして、無意識での無言ができるまで、のとことしないと、いつの時代にであっても、バカにされることは事実です。世って、そのように秩序を変えていくということです。しかし、秩序といえども、現実では、その会社にいません。ましてや、大手のことを全く知らないで、バカにしています。

 

それを今行っていることです。前にもありました。集でのことです。外国人をバカにしていた親子がいました。外国人です。頭に来ていたようです。憤慨。そして、今日もまたありました。ぎぎににていた人です。笑っていました。きっと、この間の殺人事件に関係することでしょう。それを、その人の、能力での悟りかたを待っているよりも何をしようかということですが、他でのかんしゃくを受けている状態です。そのかんしゃくの人もいました。なにかあると、動きますが。がきっと、動かされているのかということです。前には、そのようなことがなく、わからなかったのですが、今は、違います。なんだかにています。気を付けた方がいいと思います。

ましてや、悪魔は、業という意味合いをりかいできていないようです。それで、カルマといって笑っていますが、その奥にはです。どういう意味が含まれているのかということです。

先程も、ボンジの時に、ありました。強靭なお守りということですが、かつては、オウムとか、噂をたてたり、先程のところでも、強靭なお守りで気がつきましたが、それとは別の意味です。自分岳が持つのではなく、密教だったら、己が持つということです。一方的では、なにということです。それで、ちからが弱まるとアりますのでその自分が持ったとしても、邪気が強く、叶うものも、叶いません。密教の怖さです。それで、オウムの時は、カルマが流れるので、こちらとしては、お守りだけど、災難が多いということ、もしくは、何となく、止められているという状況をりかいしているので、いじめにて、それにたいして、邪気がア利ますので、結局、冒涜になりかねません。夢がかなわないということです。

 

そして、その密教(テロ)においては、相手側はかなりの運気の悪さです。それがこちらがきちんとしても、流れてくるのはただだらしない空気、しつけ、所作でしかありません。それで一度苦しんだことがアります。どうして、こう集中力がたりないんだろうと考えました。それで、こちらはどんどん悪くなる、だったら、と向こうがうまくいくのでいやだと思ったこともアります。それで、ボンジのものは持たなかったことが、卑屈からありました。どうせ、麻原に持っていかれると、いつも思っていました。なくなった父もどうして、いいことをしているのに、いいことがないのかと、愚痴を、こぼしていたことがありました。聞き役です。しかし、あの頃はなにもわからずにいたので、無言です。その状態から起きた、今がアります。己の邪気にとらわれずぎすに、いかないと、己でやられることは事実です。他者が関与してもです。