昨日から。

時々思い出したことを書いています。そして、今までできなかったことをすることにより、また、更なる開運をも座して。という感じです。

添えrは、誰のためでもなく、自分のためです。自分のためが、人のため、という感じです。それが、大きくなるかどうかの問題であります。

もしかして、文章を直しただけで、少しの偏重がと今思いました。があとは自分の悟りです。それを教えてもらうとはおか品子とです。本当は自分で気づかないといけないのにです。それを自分のやり方でやって、その時だけとはないはずです。それって、ちょっとおかしい。それよりも、正しい仏教を知らないからでしょうか?

そして、添えが、その相手の考えということではないはずですし、ましてや、その相手を目の前にしてです。それは、その人たちが現実でしかないからなのにです。曽於人たちも現実でしか、正しいと言われるやり方でしか、やらないということです。他の時は違います。

D絵も、それって、それが、縁ということもあります。カルマにおいてです。そして、カルマというものは、例えば、ある女性がいます。その人のオーラというべきか、空気がおおうと、おおわれていない石を持っていると、すぐに惰性でも願望が叶います。それだけ、カルマというものは怖いです。それを感じるかどうかです。これは、自分も経験したことですので、他の石ではそう簡単にはうまくいきませんでした。反対にどうしてだろうと、研究されてしまいました。

あんみつ姫、買った。昔、勝手もらったことがあり、しかし、指輪のリングのところが、壊れてしまい、残念にいました。それににた、指輪を手にいれたので、天然石ですが。とても、嬉しいです。

添えで、思い出したのですが、太陽のなんとかというものが、最近、また、原子力の1000倍にも及ぶエネルギーが出たようです。ので、荷とも感謝し、自分の正しい肯定をすることにより、加護がいただけるのでないでしょうか?というのも、正しい、正しくないとは別に密教が流行って痛ます。そしてです。人のエネルギーもうまくいけば、強くなっていますので、そのコントロールする力と、心、体がうまくいけば、大自然と共に、生きていけるはずです。あのままでしたら、そのエネルギーの秩序が乱れ、また何が起こるかかです。添えには、もっと巨大な力がないと、すべては、うまく潤滑できません。特に宇宙はです。昨日の数学の理論の先生みたいにです。それ以上の理論はまだ、ないということですが、それは、まだ、昭和の始め頃のことです。そう見れば、何が幸せなのか、勉強が好きな人から見れば、考えてしまうことです。お金があるからではなくて、そう見ると、その数学の理論の発表までの経緯を見ると、常に自然と共にいて、そのなかで考えていたようです。そう思うと、人のエネルギーだけ強くなっても、大自然のエネルギーがもっと強くないと、地球が壊れてしまうという感じではないでしょうか?なにかがかけても、うまくいかないということです。その次にです。人間関係とか、しきたり等等、現実デのことです。

よって、大自然のエネルギーの祝福があるのなら、そして、落ちていった人から見れば、とてつもないチャンスです。今まで以上の悟りがあったからこそ、今の状態でいられるのですから、それをどう大きくしていくか、そして、修正していくか考えていった方が、ベストだと思います。それこそ、戦後のやみ市から、始まった状態とにていますので、その恩恵を忘れずに、活用していけば、先に見えてくることも多くあるはずです。そして、それから、ふと、人が思い起こすことの感情で、敬えば、それこそ、数学者の岡先生のようなものがいただけるのではないでしょうか?それからです。おごりはです。