久しぶりに。

いままでのことを思いだし、すると府と、思いました。それは、同じことを繰り返してはならないと言うことです。リーマンもそうで、助けた親分が火の車似合い、多くが倒産というかたち出下が。もし、その親分が助けなければ、暴落は起きずに、個人の会社等が、倒産していただけです。だkら、そのように、確かに利益はあるかも知れませんが、その点思い岳で、助けるのはどうかと思います。同じことを繰り返さないようにしないと、今度は土のようにおかねを生むかと言うことができなくなります。それこそ、国の倒産になりかねません。使うかがりと、生む係は違います。

それに心が伴えばと言うことです。が、だからこそ、今度は同じ間違いをしないように、きを引き締めていかないと、道連れで倒産担ってしまいます。仏教的に言えば、業が悪いからです。その悪業の重さも重なります。よって、そのような会社はいい人も巻き込み、災難を呼ぶと言うことも有りますので、常日頃から、業のいい人はよき、実践をして、徳を積み、自己を磨いていくと言うことが大切です。心を磨くと言うことです。

 

もし、惰性で、これでいいやと嫌がらせにあって、負けたら最後です。いままでのいいときに状態がいまの自分を作ってきたので、それを自分で壊すわけです。センスということです。美的感覚とも言うのか、その人のセンスが個性とということもあります。それを土のようにいかすかどうかで未来は決まります。密教で、とりあえずでも、揃えても、その環境に身をおいているわけですから、少なからず空気では、影響を及ぼします。ので、それが未来の自分の構成に繋がります。だkら、いい人と付き合いなさいと、仏教の教えにもあります。悪いものに影響をされ、自分も知らないうちに汚染されているということです。それだけ、仏教デイうと、五感ですが、こレは新道と同じです。大まかなことは有りますが、それを深く下げていくと、それには仏教の教えでしか有りません。でも、いまは、日本ですから、南伝、もしくは、北伝の2つが有りますが、ほかの教えはまだ深くはわかりません。ここでは、仏教、もしくは新道に限られます。それが私の勉強してきたことです。

子供の頃から、確かに、宗教に入らずに今した。それで、そのように考えることもできますので、あとは、奥を下げていけばという教えです。故に宗派があるということです。

あとは、日曜学校にも通いました。あまりにも悪さがひどいので、母親が息なさいと言われ、いきましたが、3ヶ月でやめました。その時にいた人がまだ、いるそうです。