座禅会

久しぶりに座禅にいってきました。スッキリしました。そして、心のうちのモヤモヤが先生の話のお陰で晴れました。それからはということですが、それはまた、相談という形です。しかし、いまの心の思いが、晴れました。

 

いつもよりもいいお話を聞けました。いつもはたわいない話ですが、先生もとっても話したかったようで、やはり質が変わると言い話をしたくなるのかなと思いました。屈せずに負けるなと言う感じです。そして、それを悟りではなく、口に出すことにより、認識できると言うことでしょうか?でも、それはあります。心で思っていても、書いたり、口に出すことにより、自分に再度語りかけると言うことでしょう。

 

でもたしかに、心は、そちらのほうが楽しくなります。そして、毎日が楽しく生活できますね。いまはいままでの事は省いてです。話したくて仕方なくなるのも当然です。いままで、話す人がいなかったからです。自分もわかります。そうすると、おしゃべりになります。どちらかと言うと、一方的ですが、でも、わかる人だから、言いたくなると言うことでしょう。

 

そして、まず最初に、呼吸が深ければ、~。この部分は覚えていませんが、たしかに、呼吸と共に、あります。その呼吸が深ければ、わかることも有りました。なぜか、鼻風邪です。そこの部分が何となく、あれって感じですが、きっと、相手は呼吸が浅く、また、質が違うからわかるのでしょう。つまる感じ、結局じりじりということですが、ギザギザという感じで、風をひきます。また、正しい呼吸をするということは、本当は、はいてから、吸いますので、それをしていくとさらにわかります。7;3で、7がはく、3は、吸うです。その数息観と有りますが。たしかに私はちょっと苦手です。だから、お経の歌が有りますが、あのようにはできないのかも知れません。ここが、仏教と、新道の違いのひとつかもしれない部分もあると思いました。

でも、今日の先生は、私とにてました。先生は、座骨神経痛で、座禅もできなくなり、修行を1年でやめて、実家のお寺でやっていたそうですが、そこからゼンゴが出てきました。府と、自分nとにているるなと思いました。これでいいのだろうかという、底知れない不安みたいな、いままでの泣いていたことの苦しみが、スッと晴れたような気がしました。少し、泣いてしまいましたが。でも、いい言葉を学びました。どこまでいっても、向上心ですが、果たして、それが、正しいか、もしくはどこかにあるのではないだろうか、いつも考えては、どうしようかです。ハクバロカです。とても難しい色々な考えを教えてくださいました。そのひとつでこんなにも考えることができるのかです。

無縄自縄です。そして、分別でした。

途中までしか、わかりませんが、あーでもない、こうでもない、取り払ってくれたときにです。

それから、心のもやが晴れました。そして、次には結婚しようと思いましたが、しかし、普通の人生の流れとしてはこうですが、あまりにも低い魂の人と付き合っていたりすると、やはり、その点の質の低下になっていくのだとも思っていました。余談ですが、いました。エマホ。だらしないのも、いました。エマホ、悪魔。昨日、台所にいたときに、だらしないやり方が、あったので、もしや、時間の待ち合わせのルーズです。いつも、その人は遅刻ばかりで、待ち合わせの時間に来たことがなく、遅いからと、こちらが遅れて来はじめたときにだんだんときちんと来はじめました。それまでは、いつも10分とか、それ以上の時もあります。その人ににてました。